Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

手続き重視社会

ジャーマンソーセージをキッチンで焼いていたら火災報知器がピーピー鳴ってしまった。換気扇をつけたら鳴りやんだけど焦った。ちょっと敏感すぎるような気がする。今日も他の部屋でピーピー鳴っているのが聞こえたし。

 

日本とアメリカは本当に仕事の仕方が違うなと感じる。アメリカ(というか日本以外)はとりあえず何かをざっと作ってみてからアジャイルにバージョンアップしていく感じ。一方日本は最初にスタートするときの手続きが煩雑すぎて時間がかかりすぎるし,途中でのバージョンアップをすごくネガティブに捉える。なので最初から100%のものを出そうとするけど,結局それはうまくいかなくて,ずるずる総崩れ,みたいな。

 

日本の同僚たちと仕事をしていると本当に彼らの「結果より手続きの正しさを重視する姿勢」には驚かされる。日本で成果主義なんて絶対に根付くはずがない,だって途中のプロセスをいかに丁寧にやったかの方が最終成果そのものより大事ってみんな思ってるもの。

 

例えば「速い走り方について学ぶためにウサイン・ボルトと我々でまず一緒に100メートル走ってデータをとってみよう」という実験をするとしよう。すると日本人はごちゃごちゃと本質的でない細かいことばっかり騒ぎ出すわけだ。やれ「フライングは何回で失格にするか」だの「向かい風の強さと向きを考慮してタイムを補正するにはどうすればよいだろうか」だの「この100メートルコースの傾斜を正確に測ってタイムを補正しよう」だの,そんなのばっかりで笑える。いやいや,ちょっとばかり風が吹いていようがいまいがボルトと凡人のタイムの差には小さな影響しかないだろ!!そんなのに時間をかけずにまずは最初の実験を実行しろよ!!!と思うんだが,彼らは「いやいやきっちりやらないとまずいですよ。」といって,ものすごく下準備に時間をかける。で,そんなこんなでゆっくり何度も実験をして,「速く走るメソッド」というのを彼らが自分で発見できるかというと,結局できないんだよね。なのに結論のしょぼさよりも途中の手続きの丁寧さばかりを誇る。で,私がそういう本質的じゃない部分を無視してぱっぱっと前に進んでいって効果的な走り方を見つけると,彼らは「〇〇さんの仕事の進め方には完璧ではないところがありますね。具体的には・・・」みたいな,超・プロセス重視の意見ばっかり寄せてくる。これは一人がそう,とかいうのではなく,日本の文化としてそうなっていると思う。

 

たとえば傾斜がゼロのコースでとったデータと,傾斜が3度のコースでとったデータがあるとしよう。ボルトの驚異的な速さを実現する走り方というのは,そんなわずかな差には影響されないはずだから,両方のデータを使って分析する方がいいに決まっているのだが,ニッポン人は決してそうはしない。「きちんと補正をかけないと比較できないはずです。」みたいなことを堂々と有名大学卒の人たちが主張する。いや,そりゃコンマ1秒の違いを比べるような話であればそうすべきかもしれないが,今解こうとしている問題はそこまで厳密にやっても意味ないよ?と説得を試みるのだがなかなか理解されない。言葉は悪いかもしれないが,こういう人たちはただただ「頭が悪い」。学歴だけは立派なのだが・・・。中途半端に知的な人というのは,細かい部分ばかり気になってしまい,木を見て森を見ずになってしまう。

 

コロナの接触確認アプリも同じだった。海外より出遅れて,シンガポールとか台湾がとっくにアプリを運用しているときに日本はぐずぐずぐずぐずしていて。やっと出来上がったと思ったら欠陥だらけで国民から非難轟々。ワクチンの予約システムも全く同じ流れ。

 

時間をかけただけ,最後によりよいものができるのなら文句はないのだが,決してそうではないところが興味深い。

 

日本の企業が競争力強化のために優秀な外国人を雇ってもすぐ辞めてしまう,どうしたらいいのか,みたいな話はよくあるが,「そりゃそうだよ。」としか言いようがない,そんな今日この頃。