Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

退職

3月末でいよいよ正式に今の会社を退社するということで感慨深いと同時に,次にいく職場での新しい仕事が自分にとっては新しい種類の業務なので緊張感が高まっている。そんな今日この頃。

 

大企業というのは不思議なところだった。そこでしか通じない言葉を話す人がたくさんいる島国のような,いわばガラパゴス諸島のようなところだった。

 

学歴が高い人をたくさん採用しているので,優秀な人は多い。ただ,みなさん,「自分のやりたいこと」が特にない。自己主張をしない。「本当は自分のやってみたい仕事・ビジネスがあるけど,普段は会社の命令に従っているから表には出さない」だけなのか?と私はしばらく思っていたが,そうではなかった。会社のエライ人がいない,くだけた飲み会の席でさえそうした話題が出ることは無かった。なので本当にやりたいことがなくて,会社から毎年4月に「行け」と言われた部署や子会社におとなしく「ハイ」と異動し,「やれ」と言われた業務を「ハイ」とやるのが人生だと思っており,「もし自由にやれるとしたらどんなビジネス・研究をやってみたいか?」といった質問をしても大企業に馴染んだ人々からは全く明確な答えが返ってこなかった。携わったプロジェクトが途中で中止になっても,ああそうですかという感じで別のプロジェクトに移っていくし,まあ「それが大人」ではあるが,私から見ると仮面をかぶったまま外せなくなった人たち,と言うか,表情や感情のない労働ロボットのように見えた。部長クラスよりもっと上の人たちは大きな決定権を持ついわばリーダー的な存在であるが,その彼らさえ毎年の異動でころころと担当業務が変わっていくので,彼らも自分の専門性や主体性というものがない。彼らの最大の強みは「社内に知り合いが多いので,いざという時に根回しがうまく,他部門との調整や予算確保の技術が高い」ことであって,当然だがそれはその会社だけでしか意味をなさない「強み」である。会社を辞めた瞬間に彼らの強みは消えてゼロになる。

 

転職経験がある人は「会社ごとに優秀さの定義というのは違っており,企業文化によってそこで育つ人材は違うのだ」ということを知っているが,大企業にずっと最初からいる人は自分たちの会社の文化しか知らないので視野がとにかく狭かった。守秘義務があるせいで他の会社とオープンに共同研究や共同開発といったことは難しいため,自分たちのレベルを客観的に見られず,「きっと自分たちは日本国内ではトップレベルのことをしている」と無邪気に信じているような気配があった。そして顧客の方も,会社のブランドを信用して「きっとこの会社の○○サービスは日本でトップクラスのクオリティなのだろう」と信じてくれるようなところがあり,お互いにふわふわと夢の中で手を繋いでいるような,そんな曖昧な感じでビジネスが動いていくことがあり,私には非常に不思議な世界だった。

もしこれが医薬品の世界なら,この病気に対してこれこれの有効性がありますという実験データを公開する等によって,エビデンスで評価されるのでゴマカシの入る余地が小さくなるが,他の業界ではエビデンスなんてまず必要ないのである。我々が「一万円札」として使っている紙幣は,単にオジサンの顔を印刷した紙きれであり,ジャングルに一万円札の束を抱えて放り込まれてもすぐ死んでしまう,,つまり本当の意味では価値が何もない。しかし「一万円札」には価値があると日本国民全員が同意することによって,それが価値のシンボルとして使用できることになる。共同幻想である。それと同じで,大企業のビジネスもかなりの部分が顧客との共同幻想にすぎないのではないか,と私には感じられた。

 

明確なテーマをもって創業されたベンチャーなどは別かもしれないが,多角化経営をしている大企業というのは結局は儲かればなんでもいいという人ばかりで,例えば環境保護に貢献する製品を作ったり売ったりしている社員であっても別に環境保護に賛成でもなく,反対でもなく,とくに興味がないという人が多くて,それでも顧客の前では仮面をかぶって環境保護の重要性をペラペラと立て板に水のようにしゃべれる,そんな人が出世していく。役者の世界だな,と思う。彼らは与えられた脚本に少しアドリブを挟むくらいのことしか許されておらず,新しい場面展開を自分で考えることなどできない(許されない)し,長く大企業にいるうちにそうした能力を徐々に確実に失っていくのである。

 

カフカの『城』は官僚機構の幻想のカリカチュアとして有名であるが,まさにあんな感じであった。『城』の主人公は城に行きたいと言いつつも結局は最後まで城にはたどりつけない。それと同じで,大企業の人々は「俺は出世してやるぜ」という感じで入社し,「まだかなまだかな~」と毎年毎年の人事異動を楽しみにしながら労働に励み,会社の上層部の方針が毎年毎年いったいどのような議論を経て決まるのか何もわからないことに戸惑いながらも「いつか出世すれば俺にも権限が与えられて,”人に動かされる側”から”人を動かす側”へいけるはずだ」という思いを抱えて我慢と忍耐を重ねて年をとってゆく。そして,大多数の人々は最後まで会社の意思決定に関わることなどないまま,「中身がどうなっているのかよくわからない権力機構」から天の声のように降りてくる業務命令をきっちり真面目にこなして一生を終える。まさに大企業というのはそういうところだった。

 

まとめると,私はこの会社で働いてそこそこ貯金することができたので本当に感謝しているが,中にいる人たちは私から見ると異国人のような,わかりあえそうで結局内面をわかりあえない,遠い存在であった。