Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

ぐったり・・

精神的にエネルギー切れになってしまったのでぐったりしている。

今の会社(世間的にはそれなりの人材が集まっていると思われている会社)に入ったはいいが,私の仕事を理解できる人間が少なすぎてとてもつらい。アメリカに来てからは特にそうだ。いろいろ既存研究を調べて自分で改良し,実社会の課題への適用についても説明をするのだが,周りの人たちが誰も理解できないというか,ついてこれない。逆に,社外から採用されたばかりの新人さんたちの方が理解力や柔軟性があり,私と話が通じる。社歴がそこそこ長い人たちほど,まったくついてこれない。(一人だけ,私の説明にかなりついてこれる人がいて「この人なかなかやるな~」と感心させられるのだが,その人は今はまだそこまで社内で権力を持つ立場でもないのであまり当てにするわけにもいかない。。)目上の人たちに何十ページもの資料をつくってプレゼンをしても「わかりにくい」「意味がわからない」「これは何をするためのものなの?」「もう一度説明して」みたいになってしまい,さらに資料を10ページも20ページも追加で作り続け,また「まだ理解が難しいので説明がもっと欲しい」と言われ,ちょっと鬱気味になってしまって金曜と土曜は寝込んでいた。ノートパソコンを前にして「さあ始めるか」とイスに座っても気分が悪くてノートパソコンをどうしても開くことができず,本当に何もできなかった・・・。どうして私はこんなに苦労しないといけないのか?どうしてこんなに私は孤独なのか?

パワハラの一種に見えるかもしれないが,特定の一人からこうした仕打ちをうけているわけではなく,数人の異なった立場の人たちから別々に同じような反応を受けているという状態で,パワハラというわけではなく,彼らは本当に私の解説が何も理解できないようだった。馬鹿に足を引っ張られて自分の研究が滞るのは極めて苛立たしい。少し前のことだが,周りの連中に説明しても誰も私の研究を理解できないことを悟ったので自分一人でさっさと研究をしあげて(社内の承認手続きを踏んだ上で)とある学会で発表したところ,学会賞を受賞した。それを報告したら,社内の連中は一応「すごいねー」と皆さんにおっしゃっていただいたが,その中の誰も私の研究の中身を(私が説明しても)理解できていないのが笑える。お前ら,バカかよ。( ̄∇ ̄;) ハッハッハ。バーカバーカ。外部の学会で専門家相手に説明すると通じるのに社内では説明をいくら拡充しても通じないのだから,ただ単に「わが社のレベルが低すぎる」と言わざるをえない。バーカバーカ。

 

例えで言うと,「はさみを改良して,新しいよく切れるはさみを作りました」と言えば,インパクトがあると思ってもらえると期待するのだが,それが全然通じない。「一体それの何がうれしいのか何もわからん!」みたいに言われる。で,服飾関係ばかりやっているAさんには「衣類の布を裁断する効率が上がってですね・・・」と説明してやると「そうか!それなら最初からそう説明してよ」となる。が,Bさんにはそれでは全く通じない。で,過去数年間ずっと野菜を切る仕事をしているBさんに「ゴボウを切るとこうなってですね…切れ味が…」と説明すると「なんだ,ゴボウに使えるわけね~最初からそう言ってよ!」となる。別のCさんにはこれでも全く通じないので,Cさんがプラスチック包装の専門であることを考慮して「プラスチック素材を切りたい場合にはですね・・・」と見せると「ふーん」となる。こういう説得作業がエンドレスで続いていくわけである。

はさみと聞いた時点で応用範囲の広さがすぐにピンと来る人がいないのである。皆,たこつぼ式に自分のここ数年やっている分野のことだけに頭が縛られており,そこから離れた発想というのが全くできないので,こちらが彼らの得意分野を調べてそこにわざわざ降りていって説明してあげないと理解してくれない。本当に頭が悪い。一方,まだ会社に入ったばかりの新人はそういう制約が頭にかかっていない柔軟な状態なので,私の説明にもバシバシつっこみをいれてくれて感動する。その傍らで,社歴の長い面々が「ぽかーーん」としているのが,本当に笑える。ばーかばーか。

 

日本企業(特にメーカー)がここ数十年で国際的に凋落した原因の一つとして「技術の目利きができないこと」がある,とどこかで読んだことがある。さもありなん。この技術はまだ未熟だが,将来使えるかもしれんから,完全には予算を切らずに投資しておこう,といった戦略的な目利きができない。で,じゃあ研究開発成果をどう査定するかというと,特許(知財)件数が一つの目安として使われる。要するに「この部署は昨年度20件も特許を出願しているから,まあまあ仕事はしているようだな」という感じなのである。それでよいのだろうか?このブログ記事

三菱電機が検査偽装する本当のワケ!—日本企業衰退の象徴 | 小塩丙九郎の歴史・経済ブログ (ameblo.jp)

で指摘されているように,過去20年というもの,日本からの特許出願件数は伸び続けており,最近はアメリカと肩を並べそうなところまで来ている。にも関らず日本企業は世界の時価総額ランキングで世界の後塵を拝しており,科学分野の論文件数および論文被引用数ランキングでも中国にまったく太刀打ちができない状態になっている。AI分野で世界トップクラスの企業はアメリカにたくさんあるが,どれもできてから10年経つかどうかという若い企業ばかりだ。コロナワクチンを世界中に供給したモデルナだって,設立されたのは2010年である。まだできてから12年しか経っていない!!!そんな若い企業がイノベーションを起こす一方で,特許てんこもり状態の伝統的な古き日本企業(例えば三菱電機は今年で創業101年)からはイノベーションの匂いもしない。特許をとりあえず出願しまくれば国際競争力が維持できるという発想は,(自動車産業や家電産業のようなモノづくり分野では妥当としても)IT・ソフトウェアなど現在世界の新興企業の主流となっている分野にはもはや通用しない,と私は思う。

とにかく研究部門に特許のノルマを課し,「今年度はこれだけ必ず出願するように!!いいな!!」と発破をかけるような旧態依然とした管理の仕方ではもう無理なのである。

 

シリコンバレーの企業には毎年数十パーセントという化け物のようなペースで売上・利益を拡大させているIT系成長企業がいくつもあるが,大変面白いことに,そうした企業の中にはそもそも研究開発部門を持っていないところがあるそうだ。つまり社内に研究者がいなくてもデジタル分野では爆発的に成長することが可能なのである。実際のところ,IT分野では年間数万~数十万(AI分野だけに限っても5万)本もの論文がコンスタントに発表されているので,たいがいの問題に対してはすでに定石とも言える対処策がいくつも発表されている。そのため,顧客が抱える課題をヒアリングした上でそれに適するソリューションをネットからいくつか選んできて,それらを使いやすくまとめて1つのシステムにし,きれいなユーザーインターフェースをつけて納品すればそれなりに仕事として成立してしまう。つまり必要なのはデザイン思考でありシステム思考である。必要なものを見つけ出した上で組み合わせ方を工夫する,という才能が必要なのである。しかし特許では,既知のものの組み合わせは基本的に進歩性がないとして一律に却下されてしまう。特許という仕組み自体がもはやデジタル産業のビジネスモデルにはフィットしていないのである。

それに,万が一,新しい技術がどうしても必要だということになれば,技術力のあるスタートアップをさくっと買収すればいい。キャッシュがあれば何とでもなる。だから自前で新卒社員をたくさん雇って勉強させ,たくさん特許を出願させるという古い日本企業的なやり方は,今のITビジネスにおいてはますます時代遅れになっているように思われる。しかし古い企業というものは自らを変革することは決してできないだろう。中にいるからよくわかる。

 

その昔,日本は白物家電で優位性があったが,LGやハイアールといった新興企業におされて今ではすっかり撤退・壊滅してしまった。その原因の一つとして,「普通のユーザが望まないような高機能化と高価格化によって,市場のニーズから乖離した製品を生産してしまったから」ということがよく言われる。つまりガラパゴス化である。ただ,今のAI分野でもそんな感じになってきているような気がしてならない。今,いろんな会社が「AIとデータサイエンスで経営を革新しまっす~~~♪」とか宣伝しているけれど,中で使っているAI技術はどこも似たり寄ったりというのがほぼ現実と言ってよいだろう。これを私は心の中で「IT屋の不動産業者化」と呼んでいる。誰でも簡単に検索できる物件サイトとしてホームズやスーモなどがあるが,不動産屋もたいがいそういうサイトと同じデータベースを見て客に物件を推薦している。つまり,どこの不動産屋に行っても出てくる物件は同じで,それは中で使っている物件データベースが同じだからである。同様に婚活市場においても,いろいろある結婚相談所はみんな基本的に同じ連盟に所属して同じデータベースにアクセスしているので本質的な違いというものがない。AI分野もそんな感じである。アメリカや中国の企業・大学が開発した使いやすい技術がネットで無料でどんどん,毎日のように公開され続けており,それらを組み合わせればほぼ何でもできる状態になっている。なので各社とも,違うように見えるパッケージの中身はほとんど同じパーツを組み合わせて使っており,違いがないのである。で,それでも他社との違いを出そう,と焦ると,結局は「マニアックな機能を追加して高価格をキープする」という方向になってしまう。

 

かつて,日本の電機メーカーは海外との競争に勝てず没落した。しかし,では一体どうすれば没落せずに済んだのだろうか?と私はよく考えるのだが,なかなか良い答えが見つからないのが正直なところだ。顧客は高機能で高価格な炊飯器なんて求めてない,そこそこ壊れにくくて安くて使いやすければいい,ということであればそういうお手軽な製品を作ること自体はできただろう。しかし低価格化競争を行うと日本の高収入の社員たちを食わせていくだけの利益を確保できないだろうから,たとえ国際市場でのシェアをキープできたとしても組織のスリム化のためにどうしてもリストラをするということになるだろう。それで果たして「競争に勝った」と言えるのだろうか。

 

私は仕事でもよくIT化のメリットというのを説明する必要性に迫られる。IT化を推進すると少ない人手でも同じ仕事を回せるようになるのでコスト削減できるというのが,一つの模範解答というか,定型回答であるが,それで本当によいのだろうか?アメリカのように成長している国では,ある産業の無駄がなくなって余剰人員がカットされれば,そのカットされた側の人たちはより需要のある成長産業へと移動する。それによって国全体の生産性も向上し,経済規模も拡大していく。

しかし日本はどうだ?アメリカと違い,日本には成長産業がないのである。IT化を推進して人をどんどん切ると,彼らは介護職やタクシードライバーやブラックIT企業のブラックSEといった,より低賃金の仕事に流れていくしかない。そうすると平均賃金は低下し,国の経済規模は今よりさらに低下する。私のようなAI研究者がいくらITソリューションを改良してみたところで,マクロな目で見ると日本国民全体(私を含む)の首をただ絞めているだけのように思えてならない。

 

空しい。