Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

解説者と研究者は違う

ここ数年,「あれ?〇〇さんが△△△についての解説本を書いているな・・・でも〇〇さんって△△△について有名な研究成果ってほとんど出してないんじゃないの?」という出来事が少なくとも5回以上はあった。

そういう人に共通する特徴として,「人にしたり顔で教えるのが好き」「有名になりたがる(自己顕示欲が強い)」「自分の本来の専門分野ではパッとしないので,新しいトピックが近隣分野で流行の兆しを見せ始めるとすぐ飛びつく」「それをさも第一人者のように解説して,違う分野の人に名前を売る」という点が挙げられる。

最大限,好意的に解釈するなら,「教えるのが上手な人が難しい話題を易しく解説してくれるならそれでいいじゃないか。別にその人が研究者として独創的かどうかは気にしないよ」という立場もあるだろう。というかそういう立場の人が世の中には多い気がする。池上彰とか人気だし。ただ,私はそうではない。教科書や解説本を書くのなら,「自分自身で悪戦苦闘してオリジナリティのあるものを生みだす」という行為を経てきた人がいい,と思う。というか,そういう地道な努力を積んだ人にしか,本当に大事なエッセンスは理解できない,という自信がある。誰かが作ったものをサクサク素早く勉強して理解できることを「頭のよさ」と思っている人が多いが,それは違う。違うのだ。

海外の研究者なり企業が新しいAIツールや新しいプログラミングツールやライブラリを公開すると,すぐに「最新手法〇〇の使いこなし方を教えます」みたいなイージーなウェブサイトやら教科書やらが雨後の筍のごとくぞろぞろと出てくる。そういうのを見ていると,日本の科学技術のレベル低いなーーと思う。悲しくなってくる。正直,もう中国とかの方が日本よりだいぶ上だと思う。

AIの分野でも「最新AI技術を△△業界に初めて導入しました!」みたいな売り文句を振り回す人や会社はよくあるが,その手の輩はもともと△△業界では実は全然評価されていなかったりする。しかし外部から見るとそれがわからないので,「きっと△△業界では一流なんだろうな~」と思う人がたくさん出てくる。一方,△△業界においても「AIのことは私は全然わからないんだよな~~,AI導入なんてすごいんだろうな」と,その人や会社の評価が上がっていくことがある。つまり△△業界の内側・外側の双方において評価が上がるので,いいことずくめなのだ。(AIと△△の両方を深く理解している人があまりにも少ない,という点がキーポイントである。)

現代社会の諸問題はもはや狭い専門分野で扱える範囲を超えている,今こそ学際研究が必要だと叫ばれ始めて久しい。しかし実態はといえば,ある分野の知見を別の分野に輸入して再解釈するだけのような,生産性の乏しい研究者のたまり場になる傾向がある。残念なことだが,人を正しく評価するのはそれだけ難しいということなのだろう。