Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

駐妻多すぎ問題

駐在先で苦労しているサラリーマンの本音が読みたいと思っていろいろ検索してはみるものの,「海外で憂鬱です,日本に帰りたい」みたいな愚痴をいろいろな質問サイトに投稿したり自分のブログに書いたりしているのは大半が駐在員の妻。駐在先で仕事をしている旦那側が書いた文章というのはものすごく少なかった。全体の1割もない印象。

まあ仕事が忙しくてネットに書き込む暇もないくらい疲れているというのが本当のところかもしれんが。男側の視点でもっと読みたかった・・・。

外国で家に籠っている孤独な嫁がつらいのはわかるが,仕事上の必達目標を課されたり週末も日本からの来客の接待をしたり現地の顧客の接待をしたり,と,あーだこーだ苦労している旦那サイドに比べたらさすがに楽だと思う。外国語で対人折衝をこなすのがどれだけストレスフルか・・・。

 

ここからは自分の愚痴になるが。会社の人としゃべっていると抽象的思考力が弱い人が多いのが気になる。もっと正確に言うと,抽象的な議論と具体例の間を行き来するのが苦手で,常に具体例だけ議論したがる人が多い。管理職クラスもみんなそんな感じ。

これは比喩だが,私が「一度締めたら絶対ゆるまないネジ」を開発したいと述べると「それはどういう状況で役に立つ技術なわけ?もっと具体的に言ってよ」と言われる。こちらとしては,世の中に山のように応用先はあるわけで,ネジがついている製品すべての耐久性が向上しますよ,これってすごいことじゃないですか?というのが全く当然に思えるのだが,抽象的に考えられない人は自分で具体例を考えられないので,「例えば洗濯機にはネジが〇〇個使われていますが,これがゆるむと〇〇というトラブルの原因になることが知られています。これを防止すると顧客満足度が〇〇だけ向上する可能性が高いです。」みたいな説明を最後まで聞いて初めて「そうか,有意義な技術なんだな!やっとわかったよ」みたいな反応をする。

 

いや遅すぎるやろ。

 

私が論文とかの導入部を読むと抽象的な背景説明からすぐ具体例をいくつか思いつく一方で,彼らは最後まで読んでも「抽象的な机上の空論ばかりだった,リアリティのある問題設定が少なくて面白くない論文だ」とか言うんだよな。一般論から具体例を自分で導き出して今のコンテキストに当て嵌めるスピードがあまりにも遅すぎる。

 

二次方程式の解の公式は世の中で幅広く役に立つが,それは抽象的だからだ。世の中の丸みを帯びたものは,たいがい,二次曲線で近似できる。それを分析するのに,いつでも二次方程式の公式が使える。とほうもない応用の広さに,眩暈がするほどだ。でも抽象化が苦手な人は「xって何?それは何を意味するの?具体的じゃないからつまんない」とか言う。いやいや,xをどう解釈してもいいからこそ汎用的なわけですよ。xが何を表すか決めるは自分次第なのに,その努力を放棄して,具体例が与えられるのを,ただ待っている人の多いこと。

 

こっちとしては抽象的な議論の方がわかりやすいわけだ。「犬がこれこれで,猫はこれこれで,・・・,ワニはこれこれで・・・,あっよく考えたらもしかすると脊椎動物全部にいえることかもしれませんね」みたいな冗長でぐだぐだした説明を聞くよりも,最初から「脊椎動物について以下を考えます。」って言われた方がよっぽど腑に落ちる。でも頭の悪い人って,具体例から一歩上の抽象化したレイヤーに行こうとはしないんだよな。だから似たような議論を何度も個別に繰り返している。

そういう人は比喩による説明も下手で,イライラする。相手が自分の説明についてこれてないな,と感じたらすぐに比喩を使って説明して相手の反応を見るのは当たり前のことだと思うんだけど,それができない人の多いこと,多いこと。

 

だから研究中の技術を普段より一歩抽象的なレイヤーでなるべく一般化しやすいように説明しても,上司や同僚に「具体的にはどういう応用先があるのか?どういう顧客を想定しているのか?」と質問攻めにされていちいち答えるのが鬱陶しくてしょうがない。

 

それくらい自分で考えろよ。話聞いてれば見えてくるだろ。

会社の人たちは決して悪い人たちではないので悪く言いたくはないけれど。

でも抽象的思考力がなくても彼らが普通に出世していけるということは,そもそも企業においてそんな能力はいらないということか・・・。

 

本来,具体例でしか考えられない人が無理に一般論を議論しようとして失敗する痛々しい例もよく見る。たとえばAIが囲碁の世界チャンピオンに勝ったというニュースが数年前にあった。それを聞いて「これからはAIの時代だ,すごいことになったぞ,オフィスワーカーは全部AIにとってかわられるぞ」とか言っている人もたくさんいた(今もいる)けど。でもAIは囲碁という特定のルールのもとでのベストな戦略を学習しただけだから。もし囲碁のルールがほんのちょっと変わったら,そのとたんに今回の最強AIは全然勝てなくなる。しかしそういう変更は現実ならよくあることだ。法律なんてしょっちゅう変わるし,業界団体のルールも規格も変わるし,客層も変わるし,コロナみたいな予想外の出来事もあるし,原材料費は世界の景気とともに日々変わっていく。変わらないものなんて世の中には無いわけだ。でもAIはそういう変化にものすごくもろい。だから大きな環境変化があると,すぐにAIを作り直してやらないといけない。そんなことをしょっちゅうビジネスの現場でやるのはまったく現実的ではないので,AIがホワイトワーカーの仕事を奪うなんて絵空事もいいところである。しかしそういう「今回の特定のケースでの成功はどの程度,今回の特殊条件に起因しているか。どこまで一般化してよいか」みたいな見極めが苦手な人が多いんだよな。

だから,何もかもごっちゃに一般化してしまうか,個別の具体例に拘泥するか,の両極端になってしまう。これは,見苦しい。