Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

自炊

少し仕事の山を越えたので自炊を再開した。

鍋やフライパン、フライ返し、食器などをまとめて買い、キッチンペーパーやサランラップも買い、油や焼肉のタレや味ぽんや麺つゆや塩コショウを買い、、、で何日もかかった。DAISOに色々売っていて助かった。

食材は近くのスーパーで三日に一回は買い足す感じ。アメリカと比べて魚介類は思ったほど安くないな・・肉はアメリカの方がうまいし安い気がする。

外食と違い、夜の9時や10時のような好きな時間に食べられるのがよい。

生ゴミは極力出ないようにしている。

 

仕事で疲れてしまいゲームする気力もない。大神

https://www.capcom-games.com/o-kami/sp/

をちょうど中間の折り返し点(難破船)くらいまでプレイしたけど、もういいやと思って終わりにした。飽きてきた。名作と言われるだけあって操作法とか筆の技がユニークだったのには感心したが、世界観に引き込まれなかった。ヤマタノオロチをやっつけろ!→やっつけた!→あれっさらに悪いやつらが出てきたぞ!って話で、ふうん、、そうなんだ。。としか思えなかった。

 

日本での仕事はアメリカと違ってアホみたいに疲れる。大きな理由は、社内プレゼンに労力をかけすぎなのだ。社外のお客様に見せる資料をつくりこむならわかるが、そうではなく、社内でエライ人に見せる資料の仕上げにみんな必死すぎる。

ひとつのパワーポイント資料の改善のために4回も会議して4回も修正を入れて、、ってアホか!本番前にクタクタになってしまう。クリエイティブな作業をする時間も気力もない。エライ人に怒られないような日本語の書き方、表現は何か、そればっかり大勢で会議している。

とにかく会社は最近とくに研究開発予算を減らそう減らそうとする傾向が強いので、研究者にとっては地獄のような環境だ。少なくなった予算をめぐって研究者同士で共食いをしている。

たぶん、会社は本音では儲からない分野の研究者を大量に整理解雇したいんだろうけど、法律でそれができないから扱いに困っているように見える。

研究者だってイラついている。私はパワーポイントを作り込むために博士号をとったわけではない、と思っている人は社内に多そうだ。

ひろしまおかやま

G7サミットでちょうど話題のひろしまを(そしておかやまを)先日観光した。

おかやまの倉敷美観地区は人がそこそこ多くてまったりした雰囲気だった。

つつじが満開だった。

後楽園は広々していてさすが手入れが行き届いていた。

後楽園内の昔ながらという感じのレストランではクレジットカードが使えなかった。正直どうかと思う。立地がいいと努力しないんだね。

 

広島の宮島はよい天気もあってにぎわっていた。

上陸後。

ちょうど干潮だった。

その後,呉にいって解説ガイドつきのクルージング。自衛隊の艦船が近かった。

平和記念公園にも行った。もちろん原爆ドームも見てきた。外国人が多かった・・・。

平和資料館は入館者の待機列ができていた。

内容はなかなか・・・悲劇であるが,当時のもの(遺品など)をそのまま展示した資料というのは意外と少なく,頑張って説明パネルでカバーしているな・・・という感じだった。ベルリンのユダヤ博物館に行ったときは,これでもかというくらいホロコーストの遺品とかゆかりの品が大量に並べてあったような気がするのだが。たぶん原爆というのは,すべてを焼き尽くしてしまうので,それだけ何も残っていないということなのだろう。残酷さの証拠といえる。

 

公園から歩いてお城も見てきた。再建されたものとはいえ,私の地元にはこんな立派な天守閣はないのでお城コンプレックスを感じる。

なお写真の中央手前に立っている可愛らしい感じの後ろ姿が私である。

 

 

すいません嘘つきました。

 

そして庭園「縮景園」にもお邪魔してきた。

やはり日本庭園なら鯉が池にいないとさまにならない。

あやめかしょうぶか知らないが,いろいろ咲いていた。

大きな竹林もあった。庭園の面積のわりに高低差がかなりあって,いい運動になった。

短い日数でわりとたくさん回れたのではないかと思う。日本の旅行しやすい季節というのは春と秋のごく短い期間しかないので混み合うのはしょうがないか,というところ。

 

今週は職場の普段ほとんど接点がない人たちと飲みにいったが,みんな暗かった・・・。「顧客からクレームが来て炎上」とか「部下がおれに確認せず大事な話を進めてしまってトラブル」とか「思春期の娘が難しい年ごろで,もう疲れた」,そんなんばっかり。他の人から元気をもらおうという私の目論見は見事に頓挫した。

チャレンジ精神の欠如

ストレスフルなことは多い。

婚活でこの日曜に1人,会ってきたけど,先方の反応としてはお見送りということで交際不成立になった。何が原因かもわからない,理由が開示されないので自分の今後に生かす方法がない。。

仕事は今年度一緒にやる仲間に問題あり。

大企業でよくいるタイプだが,上から具体的で正確な指示をもらわないと不安で何も自分からは始められないタイプ。

「勝手な判断で行動して責められたらどうしよう!?怖い!責任とらされたらどうしよう!?怖い!安心できない!これじゃ不安で働けない!」ばっかり。

日本的大企業というのは,箸の上げ下げまで指示するような細かい上司たちと,そういう指示に慣れ切った部下たちがそれぞれたくさんいて,独特な世界を形作っている。

もちろん上からの指示があるならそれに沿ってやるしかないが,時には上司や発注者側もベストな段取りがよくわかってなくて何からどう処理すればいいかの判断をこちらに投げてくることがある。

で,指示待ちタイプの人間が受け手だと「そんな指示では動けません!私は勝手な判断はできません!全部指示してくださーーい!」ということになり,結果,何も始まらないという地獄が誕生する。

ばかばかしい。

アメリカでいたときは仕事の「成果」を求められた。逆に言えば,成果さえ出ればいい。

だから,成果を出すための道のりを自分で設定して,それに対する成果が出るかどうかは自分の責任,という世界だったのだが。

日本では成果を求めるだけじゃなく,「成果を出す方法」「成果を出すまでの道のり」まで,すべてを指示しようとする人たちがとても多いのに驚く。で,その指示を出したやつが専門家ならいいが,そうでもないただの馬鹿だとみんなが迷惑することになる(プロジェクトは遅延し,みんな〆切前に地獄をみる)。一方で,指示がないと逆に指示待ち人間たちが「どうすればいいのか教えろ!」と主張して困ったことになる。

お役所も指示待ちカルチャーだとは思うが,役所はルールに従って定型業務をこなすんだから大体はそれでいいだろう。でも企業はビジネスがうまくいかなければつぶれてしまうのだから,新しいことを絶えず試していかないといけない。そういうときに指示待ち人間ばかりだと「誰が言い出しっぺになるかをお互いが待つ地獄」になる。指示するのが大好きなマイクロマネージメント上司がいる場合は,工場のように全員が作業のように言われたことだけをこなすようになり,新しい発想が生まれず,創造性の欠如によって海外の競合他社に見事に負ける。

 

うんざりだ。

 

日本は大量生産の製造業のようにルールが決まったことをみんなでやるのはすごく得意だが,お互いに対する信頼というものがないので個人を尊重せず,マニュアル人間ばかりになり,創造性が育たない。ChatGPTのように,海外にわかりやすいお手本があるときだけ,迅速に「追いつかねば!」と行動しだすのが日本人の特性だ。「海外の成功事例をまねるため」という理屈をつけると,予算も通りやすい。あほか。

 

ばかばかしいので辞めたいけど生活のためには辞められない・・・・つらい・・

 

人間はみな,生まれながらにして懲役45年だ。生きるには働くしかない。

働くことを楽しんでいる人間なんているのだろうか。私の周りには誰もいない。

金融機関ほんときらい

アメリカ駐在員の多くがお世話になっていると思われる,ユニオンバンクの銀行口座。

Japanese Services - ジャパニーズ・カスタマーサービスユニット | Union Bank

日本から開設でき,日本から閉じられるし,オンラインで国際送金もできて非常に便利。

しかしユニオンバンクMUFGグループからUS Bankに売却されてしまった。完全な口座移行は今から2週間後らしい。驚いたことに,US Bankのオンラインバンキングサービスでは国際送金の機能がなく,口座に入っているお金をとりだそうと思うと米国の支店に物理的に行って手続きをするしかないらしい(小切手を使う手もあるかもしれないが)。私はもう口座のお金の大半を日本の口座に移しているが,それでも「お金をとりだせない口座」を維持するのはイヤだと思い,ユニオンバンクのカスタマーサポートに電話した。上記のユニオンバンクのウェブサイトには「日本語で対応します」という説明があり,実際,赴任初期にかけたときはすぐ日本語のオペレータに繋がった。しかし・・・

  • 昨日: 電話口で30分待たされて,急に英語音声に切り替わり,「今はカスタマーサポートは英語でしか提供してない。それでもよいならXXXX...を押せ」とか急に言われたので,戸惑っているとすぐに回線が初期化されてしまい,また最初に戻ってしまったので挫折。
  • 今日: 電話口で一時間待たされたが,とうとうオペレータにはつながらなかったので,挫折。一時間待ってもダメというのはさすがにひどすぎないか?

Japanese Services - ジャパニーズ・カスタマーサービスユニット | Union Bank には「日系コミュニティとの強い繋がりは一切変わりません」と書いてあるが,「今後も日系コミュニティのためのサービスを維持します」とは一言も書いていない。ひどい。もう完全に日本語対応のサービスは捨てたのだろう。スタッフも解雇されたのではないか。以前にユニオンバンクに電話したとき日本語オペレータに「買収後も日本向けサービスは続くのか?」と聞いたら力強く「今までと何も変わりません!」と言っていたのに・・・。

金融機関をはじめ企業というのは平気でカスタマーの信頼を投げ捨てるから嫌いだ。

傲慢すぎる。ていうかそもそも金融機関は買収・合併があまりにも多すぎるのだ。いい加減にしてほしい。

さてUS Bankに移行後に口座を閉じるしかなくなったわけだが・・・,オンラインでの手続きは無理で,米国時間の平日昼間に米国に電話して手続きをする必要がある。とても面倒くさい。

夢の終わり

疲れ切っているとき,本当に誰とも会話したくないときもある。また,話を多少聞いては欲しいがむやみに話の詳細に突っ込んでほしくない(心の傷がえぐれるから),という気持ちになることもよくある。

 

ただ慰めてほしいといわれたのですがどうしたらいいのでしょうか?性的な意味ではな... - Yahoo!知恵袋

誰でもいいから慰めて欲しいです。ただ何も言わず、「がんばったね」「辛かったね」... - Yahoo!知恵袋

 

このへんのコメントに共感したので,引用してみる。

 

まさにそれ,という丁寧な説明。微妙な気持ちをこういう風にきっちり言語化できる才能がほしい。

 

ITエンジニアの業界では,ラバーダック法というのが有名だ。

ラバーダッキング法で問題解決!効果やメリット、実践のコツを解説 | アンドエンジニア (and-engineer.com)

自分の困っている問題(バグとか)について,仮想的な聞き手(人形でも何でもいい)に向かって説明してみて,そのように一歩引いて問題の本質を自覚することで新たな気づきをえるということだ。つまり,聞き手がいるという事実が大事なのであって,聞き手が何かすぐれたアドバイスをくれるということは最初から期待されていないし,そもそもそんな必要もない。

ラバーダッキング法とは|「分かりそう」で「分からない」でも「分かった」気になれるIT用語辞典 (i-3-i.info)

バーダックではない生の人間が相手の議論は疲れることが多い。そもそも自分と知的レベルが近い相手でないと会話が成立しない。相手が愚鈍だと,こちらが相手のレベルで話を嚙み砕いて説明してあげるので忙しいから,生産的な会話にはならない。逆に相手が切れ者すぎてもおいてけぼりになるので会話が成立しにくい。相手が揚げ足取りをするような性格のときも友好的な雰囲気の会話は続かないし。

 

さて今日は冷蔵庫を部屋に設置した。まだ中身は空だが,とりあえずオンにした。これで冷たいビールでも何でも飲めるのはこれからの季節,ありがたい。

今週の金曜日は憂鬱だ。「会議A」「会議Aの事前すりあわせのための会議B」「会議Bの前の意識あわせのための会議C」がたてつづけにある(順番はC⇒B⇒A)。アメリカではありえなかったことが日本ではいろいろある。

しわしわな日々

某所に家族で旅行していた。

いろいろ旨いものを食べて観光ができてよかった。

ただ,ホテルの部屋というのはどうしても狭いのでストレスだった。

とあるしがらみにより,論文を一刻も早く書かねばならず,〆切をもう過ぎていて先方に待ってもらっている状態なのでクオリティを犠牲にしまくって形だけ論文として体裁を整えて書き上げた。一応それなりに数値計算などもしたのでプログラムはいろいろと書いたし,google colabでGPUもガンガン回した。しかし正直,この論文の質はとても低いと自分でも認めざるを得ない。

とにかく,最も懸案の事項がこれで解決したので,やっとホッとしている。実は家族との旅行中にもすきま時間を見つけては原稿を書いたりソースコードを書いたりしていたのでしんどかった。これだけ旅行中にソースコードを書いた人間もなかなか珍しいのではないか。

とてもブログを更新する気力はなかった,というか今もないのだけど,近況を述べて頭を整理するという意味では書く意味はあるのかもしれない。ただ,会社でのストレスなど具体的なことはすべて身バレを避けるためにここには書けず,結局本当に言いたいことは何も言えないという矛盾がストレス。

それにしてもアメリカでのおおざっぱなマネジメントスタイルと比べると日本(の伝統的大手企業)は本当にマイクロマネジメントだと思う。というか中間管理職が多すぎる。トップのリーダー層と現場で手を動かす層が充実していればいいと思うのだが,日本の大企業というのは中間の「何の仕事をしているのかよくわからないオジサンたち」(←トップからの言葉を現場に伝え,現場の声を上にあげ,部門間の折衝をやり,など,要するに人生のすべてを伝言ゲームに費やしている人々のことである)という層が妙に分厚く,無駄を生んでいるような気がする。

例えば私が別の部門のかなり上の人に質問したいことがあるとすると,直接聞きに行くことは許されず,途中で課長やら部長やらいろいろな人たちを通していかねばならない。その途中でどうしても元の発言の意図が歪んで伝わるため,本当に伝言ゲームのように意思疎通の齟齬が生じる。あほらしい。

そういう組織の論理のようなストレスを脇に置くとしても,そもそも仕事内容に興味がなくなってきている・・・。

書類をつくって承認をもらいに提出し,いろいろ細かいことを言われて修正させられ,また提出し,承認をもらい,さらにその上の偉い人の承認をもらい,さらにその上の(以下略)・・・という日々。でも会社からは「お前もそろそろいい年なんだから社会を見て大きなビジネスの種をさがしてみろ」みたいな無茶ぶりを言われる。そんなこと言われても,ふだんは様式美のような書類仕事しかやらされてないのに急にそんな自由な発想ができるわけないだろう,と。あほらしい。

とりあえず何冊か最近買った本があるのでそれをじっくりと読みたい。あと20連休くらい欲しい。早く年金暮らしがしたい!

あれやこれや

新しいマンションの部屋が整理できて生活可能になるまでに結局7つのホテルを渡り歩くことになってしまった。荷物を持っての移動は辛かった。一か月弱の間に7つのホテルに泊まるというのは今後の人生でもありえない記録だろう。

 

東京は治安が悪くなってしまったと感じた。詳しくは書かないが危ない目に遭いかけた。たまたまパトカーが近くを通りかかったので助かったが・・・。というより,危ない地域だからこそパトカーが巡回していたのだ。電車の中でのマナーも悪い人がとても目につくし。アメリカでは治安の悪い地域と良い地域がはっきり分かれていて,良い地域の方に引きこもっていれば粗暴犯に出会うことはまずなかったのだけど,東京は電車網が発達していることもあって人が広範囲で混じりあうのでそういう境界がだいぶ不明確になっており,逆にとても厄介だと感じる。「やばいやつがどこにでも満遍なく少人数存在する」というか・・。たとえば,私の住むことにした地域は治安がいいとされているが,それでも昼間に道を歩いていると挙動不審な金髪の若い男がいて,何だこいつ・・・と思ってよく見たら手にもった半透明のメッシュケースに札束が入っていた。そういう,気持ち悪いというか,何なのこいつ??という感じのやつがよくいる。

 

それにしても新生活のセットアップは本当に面倒くさいことばかりだ。引越業者に,日本のトランクルームに保管していた家財を配達してもらってデスクを組み立ててもらったところ,変な組み方をしたため壊されてしまい,弁償ということで,結局新しいデスクをAmazonで買うしかなかった。ベッドもデスクもチェアも組み立てが面倒くさかったし,不用品(本棚など)を引き取ってもらうために業者が来るのを部屋で待っていたりAmazonの品物が配達されるのを待っていたり,と時間を気にして行動するのが地味に大変だった。それに,24時間ゴミ出しが可能で分別も必要なかったアメリカのアパートと違って今いるところではゴミ出しの曜日が決まっており,明日の朝は段ボールを捨てにいく,などと気に留めておかないといけないのがとても鬱陶しい。本当はこういうことには注意力を使いたくないのだが。。

 

電化製品の配置にも苦労した。コンセント2口に延長コードやら電源タップやらをつけまくって「私用ノートPC・会社のノートPC・モニター・デスクライト・スマホ充電ケーブル・PS4」を全部つないだ。そこにさらにHDMIケーブル2本とヘッドセットとキーボードとマウスを接続したので,もう何がどこにつながっているのか一見してもわからない状況。とりあえず在宅勤務の準備がようやく整った・・・。もし出社するとなると,会社PCとそのケーブル類をとりはずして出社し,帰宅後にまた接続しなおさないといけないので,一度の出社が非常にめんどうくさい。なので,ときどき出社・ときどき在宅勤務で半々という感じではなく,ほぼいつも在宅勤務という振り切ったスタイルにせざるを得ない。帰国後に一応ちょこっと出社はしたが,社食が意外とあまり安くなく(コロナ前はもっと安かった気がする),経済的な意味でも出社するインセンティブがあまりなくなってしまった。そもそも出社しても人があまりいないので同じ課の人と会話することもできず,ただ自席に座っているだけという感じになるのでほとんど意味はない。ただ,オフィスにはプリンターがあるので,大量にプリントしたい文書があるときだけは出社するべきだろう。

 

今のアパートはアメリカで借りていた部屋の広さの4割くらいに狭くなってしまったので息苦しさはあるが,どうしようもない。家賃にじゃぶじゃぶお金を使うわけにもいかない。

 

企業で言われたことをただやる研究開発にもだいぶ疲れてきたので大学にでも移りたいと思うことは正直何度もある。ただ,首都圏の私大(MARCHとか)は金儲け主義なので学生数が多く,一人の教授や准教授が最低20人,普通は30人もの学生(学部三年~修士二年)を抱えていることが珍しくない。そうなると毎年,卒業論文修士論文を10人以上も指導せねばならず,よほど上手に手を抜かないと過労で死んでしまう。こんな馬車馬のように労働するのはイヤであるし,そもそも私は東京というか関東地方にこれ以上長居はしたくないのである。たまに私の地元に近い大学から公募が出ることもあるが,そういう大学の財務状況を念のため調べてみるとここ数年は赤字続きで受験者も減少し,財政が火の車だったりする。そういうとんでもない衰退大学に雇われても将来が不安なだけだ。地元にほど近くて,なおかつ財務がしっかりした大学,というのはすごく限られてしまうので,公募がなかなか出ず,応募しようにもできない。困った。

 

今回,重いキャリーケースを2つも引きずって埼玉~千葉~東京各方面を移動して思ったが,東京は全然バリアフリーではない。障碍者や足腰の弱いお年寄りにとって住みやすい街ではない。やはり私は東京に永住はしたくない,できないと思った。

 

今は就職活動のシーズンだが就活の「雇う側」もなかなか不思議なものである。学生に「オリジナリティがない」とか「主体的に行動する意欲が感じられない」とか「自分で課題を見つけ出す力が弱い」といった理由で結構な数を落とすっぽいのだが,それって意味あるのだろうか?カイシャに一度入ってしまうと業務は上から下にトップダウンで振られるだけなので現場の人間がオリジナリティなんて持つ必要なんてないし,自分で課題を設定して主体的に取り組む力なんて発揮したくてもできない。部長やそれ以上に出世する人間だけはそういう能力も必要かもしれんが,それ以外の人間は言われたことをきっちり要求水準以上の品質で仕上げることに専念すればよいのではなかろうか?どうもちぐはぐな基準で学生を落としているようにしか見えない・・・。不思議。もったいないと思う。