Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

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帰国した。

満室のホテルばかりなので四つものホテルを泊まり歩く状況で疲れ切っている。場所は東京、千葉、埼玉。

今日から三つ目のホテルで、数日後には四つ目に移る。スーツケースを二つも引きずって東京の街を歩くのは辛い、というか、何も悪いことをしてないのに刑罰を受けているようだ。

どうにか新居は決まったが、まだ入居日までは日がある。航空便で送った荷物がいつ日本に着くのかもよくわからない。

とても仕事ができるような状態ではないのだが、4/1といえば毎年アレが本格的に解禁される時期なので、それ絡みの仕事がいきなりバシバシ入っていて辛い。殺す気か。

今年度は私はよくわからん研修を受けろと会社に言われており、その内容を見たところ、ビジネスに必要な気合とチームワークを学ぶための登山、などというふざけたメニューが入っており、怒りを覚えずにはいられない。登山なんて嫌だ…

 

辞めたい。本当に辞めたい。

 

ちょっと前に、シュプリンガー社のあるジャーナルに論文を投稿したのだが、待てど暮らせど放置され、結局一ヶ月待ったにも関わらず、査読が始まることがなかった。編集部のエディタに2回も苦情を入れたのだが、ろくな説明もなく誠意に欠けた対応であったため、投稿を取り下げることを決断した。シュプリンガーはこの10年というもの、ありとあらゆる編集業務を次々にインド拠点に移してコストダウンを図っており、その過程でエディタのサービスクオリティが下がり続けている。今回のジャーナルも担当の編集者はインド拠点のインド人だった。インドは丁寧で細やかなサービスというものが存在しない未開の地であり、シュプリンガーに限らず、多くの会社が「英語が通じる」「人件費が安い」という二点だけでカスタマーサポート系の仕事をどんどん外注することで世界中のカスタマーの満足度をダダ下がりさせている。私の会社もアメリカで本来やっていた総務系の業務をインドに回すようにした結果、サービスがめちゃくちゃになってしまった。彼らは仕事を回されるのをとにかく嫌がり、何かを依頼したり問い合わせるとすぐに「それは私の担当業務じゃない、他の人に言え」と逃げる。それにインド人に広く共通する点だが、彼らはミスや手抜きを指摘されても決して謝罪せず、ひたすら言い訳を続ける。私は悪くない!という言い訳ばかりだ。Apple がインドの工場で生産した製品の半分が不良品というニュースを最近目にしたが、正直、何の驚きもない。インド人に比べれば中国人の方がずっと仕事しやすい。彼らは少なくともミスしたときは一応謝るから。

 

で、取り下げた論文をどうするか悩んだが、ある国際会議に投稿することにした。ただ、論文は30ページもある一方で、その会議の投稿はページ数に上限があったため、本質的な内容を損なわずページ数を半分以下に圧縮する必要が生じた。日本に帰国したばかりのホテルで、まだ時差ぼけも治らないとき、昼間は家探しをしながら夜は黙々とLaTeXで原稿を切り詰める作業をしていた。何とか終わったが、辛かった。泣きそうだった。

 

映画館に「かがみの孤城」を見に行った。

内容は文句なく名作であったが、ただ一点、芦田愛菜を声優に使ったのは大きな失敗だ。七歳くらいの病弱な女の子の役なのに舞台俳優のように腹から出した声でしゃべるので、違和感がすごい。とても七歳とは思えない、やはり高校生かそれ以上という感じの声。勝ち気でアグレッシブで負けず嫌いの女子高生、としか思えなかった。他の声優が皆上手であったので、いかにも「プロの間に一人だけ滑舌のいい素人が入ってる」感があった。はぁ。

キネカ大森で観たのだが、スクリーンの映像がやや暗く、またスクリーンがあまり綺麗ではなかったので上映中ずっとスクリーン全体の汚れ、曇りが気になってしまい、あまり集中できなかった。もう二度とキネカ大森には行かないと決めた。

 

これからもホテル暮らしが続くのでうんざりする。アメリカから船便でベッドを送ったが、部屋が狭いのでアメリカのベッドを置くと他のスペースが無くなってしまう。なので新しくコンパクトなベッドを買わねばならないし、船便で届くベッドを処分する手配もせねばならない。憂鬱にもほどがある。

アメリカではゴミの分別が不要で、金属も紙もプラスチックも同じ袋に入れてダストシュートに投げればよかったのだが、日本はクレイジーなくらい細かく分別する必要があり、実にうんざりする。複雑な社内ルールばかりで生産性の低い日本の大企業と、どこか重なる。

アメリカのスタバでは、持ち込みの食べ物を食べる人がたくさんおり、例えば隣のスーパーで買ったおかずを食べながらスタバのコーヒーを飲むのなんて普通だし、誰も注意しない。でも日本のカフェに来ると「他店のものを飲食しないでください」だの、「長時間のご滞在はご遠慮ください」だの、注意書きが店内に一杯貼ってあり、恐怖を感じる。また、日本のカフェでくつろいでいると客が入店するたびに女性店員全員が声を揃えて「いらっしゃいませー!」と声を出し、客が帰る時は店員全員が「ありがとうございましたーまたお越しくださいませー」と声を揃えて張り上げており、とにかくうるさいし、まるで北朝鮮の訓練された兵士のようで恐怖を感じた。

日本のニュースを見ると、ディズニーランドに来てセクシーなコスプレで記念写真をとった女性芸能人グループが批判されて謝罪したり、ジブリパークでキャラクターの像の前でふざけた仕草をして記念撮影した人が批判されて愛知県庁に謝罪に行ったりしていて、なぜそんなどうでもいいことで社会からバッシングされるのか理解できない。相互監視社会という言葉がぴったりだ。アメリカでは両腕にタトゥーをびっしり入れた髪がブルーのパパさんが子供を抱いて百貨店をウロウロしていても特に誰も気にしていないのに。。。

前に安倍元首相が死んだ後、ある書店が安倍追悼特集のコーナーを作った。そこに統一教会関係の本もそれなりにたくさん置いたところ、自民党が激怒して、代議士がその書店に来て店に謝罪させたというニュースも聞いた。一体、何が問題で何に対して謝罪をさせたいのか、全くわからない。日本には報道の自由表現の自由も本当は無いのだと思う。アメリカでは、YouTubeに政治的なCMが挟まれていることもよくあり、例えば「この政治家は郡の予算を大量に無駄遣いしたのに責任をとってない!次の選挙では絶対に落とそう!」みたいなネガティブキャンペーンも普通によくある。でも日本ではメディアが政治的にセンシティブな話題を扱うとすぐに批判を浴びて、「公正中立な報道を目指して努力して参ります」などと謝罪させられている。これも、なぜ謝罪せねばならないのかがわからない。政治に関しては完全に中立な報道など本来不可能であり、ジャーナリストが自分の信念に沿って報道するのは全く問題ないはずなのだが、日本では違うようだ。

ジャニーズの性的虐待報道はBBCが放送したのに日本のメディアは完全に黙殺した。かと思えば、道端ジェシカが薬物で逮捕といった、単発の大したことない事件を何時間も何時間もいろいろな情報バラエティ番組で繰り返し放送しており、理解に苦しむ。

 

日本は長いものに巻かれろの精神で支配されたルールでがちがちの監視社会だ。

コロナはすっかり終息したのに、ほぼ全ての人がマスクをしているし。これも他の人から「変わった奴」と思われないように、という、リスク回避精神なのだろう。

恐怖を感じる。