Quadrifolium's blog

元海外赴任サラリーマンの独り言です。

うーーん

仕事に対するやる気が出ないので困っている。いつものことだけど今は特に。

理由。

  • 日本のお偉いさんが,部下たちの必死で考えた技術戦略・経営戦略に対して「ほんとにそんなうまくいくかねえ~?無理なんじゃないの~?信じられないなあ」「なんか普通だな~当たり前のことしか書いてない」「もっといいアイデアないの~?」などと,士気を下げるようなことばっかり言う。リーダーの仕事は部下のモチベーションと生産性を高めることにあると思うのだが。逆をやってどうするんだ・・・。お前もちょっとはアイデア出せよ!と思う。代案のない批判だけなら大学生でもできる。
  • 大企業は総売上が一兆円を超えたりするので,ビジネスに対する尺度が厳しい。「10億,100億なんてはした金。1000億円超えて初めてビジネスやったことになる」と発言する幹部もいる。なので新規分野でこつこつ新しい技術開発してシードから少しずつビジネスを育てていこう,スモールスタートしよう,みたいな発想が全くないのがつらい。「えっその技術を開発しても将来目標100億?目標低すぎるでしょ~(爆笑)」とか言われるのがつらい。会社を立ち上げた昔の日本の先駆者たちは小さなビジネスから始めて育てたからこそ今があるはずなのだが,今の経営幹部(本部長クラス以上)は規模にしか興味がない。もし新規市場になぐりこみをかけたいとなれば,大金を積んでその業界の中堅企業をまるっと買収することしか考えない。なので研究開発のやりがいがないんだよ。新しいビジネスを自分たちでいちから育てようという気がない。いや,そういうコツコツとした仕事をしている人たちもいるんだけど,同じ社内の心無い人たちから「あれは閑職だね」などと陰口をたたかれている。気の毒。
  • 毎年研究テーマが変わるのがつらい。今年しっかり〇〇分野の文献を読みこんで競合他社も調べて勉強したぞ,と自信がついてきたころに別の分野の研究をさせられる。うんざり。こんなんで専門性が育つかよ,阿呆が。
  • 働く人間は同時に消費者でもあるので,心の中に「儲けたい人」「お金を節約したい人」の2つの側面を同時に持っている。これらの間の矛盾が大きくなってくると,本当につらくなる。「消費者としての私」は,正直,もう新しい技術になんぞ興味がないのが本音だ。自動運転なんて装備しなくていいから,フツーの性能の車の値段を今の半分にしてくれ,と思う。そしたら皆よろこぶだろう。テレビにしたって,4Kなんていう超高画質で芸能人の顔を見たいとも思わないから,もっと低画質で今の半分の値段にしてくれ,録画機能もいらない,と思う。そしたら皆よろこぶだろう。コンピュータだってそうだ。WordやExcelwindows OSに今以上の機能なんて求めないから,今の半額でそこそこ普通のスペックのPCを買えるようにしてくれ,と思う。そうすれば貧困家庭の人たちもPCを買って情報収集したり資格のための勉強したりと夢が広がる。
    今の日本の世相を見ていても,たとえばアイリスオーヤマの家電やワークマンの服が売れていることから察するに,中流世帯は皆同じような気持ちだろう。高機能化による高価格化はやめてほしいのだ。
    でも「働く人としての私」は,とにかくサービスや製品に珍妙なプレミアムな機能を追加しまくって価格を上げていく(利益を上乗せしていく)ことばかりを求められる。乾いたぞうきんを絞るようにして少し品質・性能を向上させて高価格帯を維持することが求められる。もちろんそれは戦略としては合っていて,もし安い価格で商品がコモディティ化してしまうと利幅が薄くなって"一流"大企業の正社員たちの高給を支払い続けることができなくなるから,何としてもプレミアム感を追求せねばならないのだ。安売りは(たとえできるとしても)やらないのだ。
    でも正直,そういうのに意欲を感じないんだよね。まったく。何しょうもない技術つけたしてんの?そんなん無くてもいいって顧客の方が多いんじゃない?と思っても会社の命令で研究開発しないといけないのが,きつい。
    日本はこれから貧富の差がすごい勢いで拡大していくと思う。となると企業は生き残りをかけてリッチな層に食い込もうとするだろう。富裕層の個人や富裕な企業向けのサービスを拡充することで売り上げを維持しようとする動きは,あちこちに見られる。でも私はそういうのに興味がないんだよ。富めるものに寄生してチップをたかるような人生は空しい。
    大企業の幹部職(たぶん年収1500万円以上)を辞めて,もっと給料の低い大学教授に転身する人がよくいるが,彼らも実は私と似たようなこと感じているんじゃないかと勘繰っている。